なんとなくアジア(旅の日記から)
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トラブル編/ぎっくり腰でトルコ 2003
 
■Day-2
subuktekin一族
 

一夜明けて、とにかく誰かいないか大声で叫んでみたが、どうやら家はもぬけの殻。とにかく誰かにトイレにゆくのを手伝ってもらわないと困るのだ。(昨夜もトイレに行くのは非常に困難だった)しかし、いくら待っても誰も帰ってこないので、意を決して一人で頑張ってみた。とにかく1cmずつ動くようなスローモーションでベッドから抜け出し(転がり落ち)、床を這って何とか廊下にでたが、トイレはこの階にはない。今度は階段を這い上がって、やっとのことで辿り着いた。トイレは残念ながら様式ではないので、しゃがまなければならないのだが、さすがにその姿勢にはなれず。どうやったかはここでは書かない。とにかくベッドに戻るまで小一時間かかった。しかし、昨夜に比べると痛みがましになったし、腕の力でなんとか壁を使って自立できるようになったので希望を持った。

memet生まれる昼前になってMarufが戻ってきた。満面の笑顔で。彼はしきりに「baby、baby」と繰り返していた。それでわかったのだが、未明に彼の奥さんが出産したらしい。後になってわかったことだが、ちょうどMaruf宅を訪問したときは、奥さんを産所に連れてゆく準備をしていたらしく、そこへぎっくり腰の厄介者が転がり込んだので産所行きを次の日にしたらしいが、その夜、状況が切迫してみんなで奥さんを産所に連れていったそうだ。何だかすごいタイミングの悪いときに来てしまったようだ。

この日の夕方、Marufが再び産所にゆくというので、リハビリを兼ねてついていった(両脇を彼と彼の弟に支えられて、連れてゆかれた)。行き先は病院を想像していたのだが、着いた先は路地裏の狭い民家。そこがMarufの所得層が使う出産所になっているのだった。赤ちゃんは女の子。早速つけられた名前はMemet。

産所にいる間に「変なジャポンヤが来ているぞ」ということで近所の人が次々に建物をのぞき込んできて、終いには「よし、俺がその腰を直してあげよう!」というおじさんが現れ、彼の家に連れてゆかれた。正直いって不安だ。案の定、接骨医のようにバキバキと...buktekin family

日が暮れてから帰宅。この夜から家族一同と一緒に寝ることになった。夏の間は、外のコンクリートテラスに毛布を敷いて全員雑居寝するそうだ。確かに涼しくて気持ちいい。また、斜面に建っているのでテラスからシリア平原が一望、さらに真ん前にウル・ジャミィのミナーレがそびえ立っていて絶景だ。

 
■Day-3
 

翌日、昨夜のマッサージ?が利いたのか、自然に良くなっているのかわからないが、朝食を座ってとることができるようになった。この日、遅まきながら病院にいって念のためレントゲンをとってもらった。結果は骨に異常はないらしく、処方せんを持って向かいの薬局で薬を買って帰るようにいわれただけ。ちなみに診察料は無料!(にしてくれたようだ)薬局で出されたのは痛み止めと湿布。

afmedの彼女午後は産所の近辺で過ごす。今度はマッサージの達人と自称するお婆さんが現れたが、これは丁重にお断りした。そのかわりにハマムに行けばどうかということになった。ハマムは初めてなのだが、イメージでは天井からの光が床に陰影をつくって幻想的な蒸し風呂のはずだが、マルディンのそれは陰気で暗い部屋でマッチョなパンツ一丁のマッサージ師がいて、ほとんど拷問部屋の風情。実際悲鳴をあげた。

恐怖のハマムを後にして、しばらくして前より歩くのが楽になったような...。それで思い切って明日マルディンを発つことにした。本当はもう少し直ってからの方がよいのだが、いつまでもいては迷惑だろうし、それに、これ以上いたら離れがたくなってしまうし。一番の問題は手ぶらなら何とか歩けるものの、バックパックを背負ってゆくのはまだ無理ということ。これはトルコの人々の好意にすがることにした。

diay コンテンツに移動 page topへ移動 back next page 2003/8/15-16